自分の意見と異なることを言われたり、
時には自分を批判されたり。
そういうものを逆批判したり、受け入れない姿勢でいると
どんどん世界は閉じていく。
その狭い世界の中心にいる人は
周囲を(表面的な)イエスマンに囲まれ、
ある意味居心地はいいのかもしれないが
それはとても小さな、閉じられた世界。
今の自分の守備範囲を広げていったり、
変えていったりするときには
痛みや、成長が伴うもの。
何かに守られながら、進むという道もあるけれど
それは本当の意味での自己成長ではない。
周囲の人の同情を、
好意と勘違いしないでほしい。
言葉にしてしまうと、異論、批判、になるのかもしれないけれど
根拠もなく文句言っている人と、そうではなくて
その人のためを思って、友人だからこそ苦言を呈している場合がある。
そこを見極めてほしいと、願っている。
本当の友人なら、異論や批判(に、一見見えるもの)に対して
一緒に受け入れ、考えてみるものではなかろうか。
ただ守るだけが、友情ではないと思う、
しかも、客観的にみると
守っている、というのは自己満足で、
実は守っているつもりになっているだけのことが多い。
そんな、友人がいます。
友人がそれでいいなら・・それでいい。
だけれど、もったいないなあと思うのです。
もっと成長できると思います。
ただしそれは、守られているだけではできない。
自分で取りに行くもの。
友人の世界が、さらにどんどん閉じられて行っているような気がして
とっても残念です。

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